こんにちは。debuyaです。
今回は、タイトルでもズバリ書きましたが、日本サッカー界に携わる指導者のほとんどの人が教えられる言葉です。
「指導者は選手の未来に触れている。」
私たちサッカー指導者は、サッカーの技術を教えるのは当然のことです。
しかし、サッカーの指導者であると同時に「教育者」でないといけないと私は考えています。
言い方を変えると「サッカーを教えながらサッカーというツールを使って子ども達の人間形成の手助けをしてあげること」だと考えています。
試合会場には指導者の怒鳴り声が響きわたる
いろんな指導者、いろんなブログ、いろんな動画で指摘されていますが、少年サッカーの現場に行けば絶えず聞こえてくる指導者の怒鳴り声。
私が小学生の頃に比べれば激減はしているのでしょうが、まだまだ怒鳴り声は聞こえてきます。
では、怒鳴っている指導者に聞いてみたいです。
あなたが仮にプレイヤーで指導者から怒鳴られた時にあなたは本当に気持ち良いでしょうか!?
怒鳴られてサッカーを好きな子に育ってくれるのでしょうか!?
普通に冷静になれば分かることです。
この指導者の怒鳴り声は、良いものではありません。
ブログ、SNS、動画などで情報を発信されている方々は、知名度や実績もあり、ほとんどが「子ども達を怒ることはダメなこと」、「子ども達のために全くならない」という指摘をしています。
私自身の個人的な意見とするのであれば、怒らない = 指摘しない ではダメだと思っています。
自分の感情任せで怒ることは、指導者として最低だと思います。
しかし、私も指導者も子ども達も「人間」なので完璧ではありません。
失敗や悪さは、長い人生の中で全くしないはありえません。
では、失敗や悪さをした子ども達に対しては、どう接するべきなのでしょうか!?
私は指摘するべきだと思っています。
「怒る」ということと「指摘する」はイコールになりません。
私は、指摘する時に感情を上手く表現できるように意識しています。
例えば子ども達がサッカーでミスをした、ちょっとした悪ふざけをしたなど本人が望んでいない結果になってしまった、軽い気持ちでやってしまったことなどは笑いながら指摘してあげます。
その代わりに、なぜそうなったのか!?何がダメだったのか!?はちゃんと説明してあげれるように気を付けています。
子ども達がやったことが人に危害を与えることや社会的に絶対にしてはダメなことをした時には、毅然とした態度で怒ります。
もちろん周りから見れば怒っているように見えるかもしれません。
でも言わなければいけないことは、しっかりとした態度で指摘しないといけません。
現在預かっている子ども達でも過去にこんなことがありました。
私が関わっていない場面で子ども達だけでサッカーゴールを動かすというシーンがありました。
子ども達がチャラチャラしながら勝手にゴールを傾けようとしている子、とりあえず立っている子など子ども達が重たいゴールを自分勝手にそれぞれが動かそうとしていたので、その姿を見た瞬間に私は子ども達に対して激怒しました。
私 「重たいゴールを運ぶのに真剣にみんなでやらなかったら怪我人がでる!最悪の場合死んでしまう!!真剣にやれ!!!」
文章で書くと私の、その当時の声のトーンは伝わらないかもしれませんが、かなりキレて子ども達に言いました。
なぜなら厳しく言わないと本当にゴールの下敷きになって死ぬ子が現れてしまうからです。
本音で言えば子ども達だけでゴールを動かすように指示した大人が最後まで見守れよ!!というのが本音ではありますが・・・。
この場面で厳しく怒らないと、これから先も同じように自分勝手にゴールを動かした時に本当に怪我人が出てしまうかもしれません。
でも、この場面は大人が指摘しないと子ども達レベルでは分からないと思います。
だから「怒ること」が全てダメとは私は思いません。
ケースバイケースだと思います。
もっと言うのであれば自分が怒ったことに「信念」がしっかりとあるのであれば私は大丈夫だと思っています。
怒ること自体ダメなのであれば、怒られて育ってきた私たちや私よりも年上の諸先輩方の行動、言動などの全てがダメという捉え方になってしまいます。
全く指摘しない指導者
試合会場では、試合を見ている指導者の中には全く何もしゃべらない指導者もいらっしゃいます。
このタイプも良い場合とダメな場合に分けられるように個人的には思います。
試合中は喋らずに試合後のミーティングで全てを伝えれる、子ども達も理解できるという完成されたチームなのであれば全く問題はないと思います。
敢えて言うのであれば、良いプレーをした時くらいは、子ども達をもっと褒めてあげたら!?とは思います。
反対にチームが全く上手くいっていないのに何も言わない、試合後のミーティングでも大したことを言えない、指摘しなければいけない部分が指導者が理解できていないなどというのであれば問題があると思います。
私が預かっているチームも相手が強すぎて何もさせてもらえないという場面はあります。
試合中にどれだけ指摘しても子ども達の頭に全く入らない、指摘しても言葉程度では対応できないような相手などシーンはいろんな場面がありますが、子ども達が明らかにへこんでやる気がないような場面です。
そんな時、私は子ども達に「開き直れ」と伝えています。
だって勝てない相手は勝てないですし、試合の途中ですぐに対応できるような相手のレベルではないのですから。
試合に勝てない、点が取れない、失点を繰り返す、そりゃあ誰でもやる気は上がりません。
だからこそ子ども達には、開き直ってひとりひとりが今できることを全力でやってみようと声を掛けます。
「今のテーマが○○なんだから1回でもできれば成長じゃない!?」とか「ある場面の1対1だけは負けないようにがんばってみよう!」とかその都度内容は変わりますが、声を全く出さないという場面は、ほとんどありません。
子ども達は、心のどこかで指導者からの激励を待っていると思いますし、強い相手なのであれば戦ってくれているだけで感謝です。
強い相手と試合ができるなんていう機会は、多くはありませんから。
第三者から何も言わない指導者を見れば子ども達の自主性を尊重しているように見えてきますが、私はこの部分も内容によるよね!?と考えています。
自分自身が努力していない指導者
地元のサッカー少年団でボランティアとして指導している指導者が「ボランティアだから」という言い訳を作って自分が努力していない指導者も数多くいらっしゃいます。
個人的には、あまり好きではありません。
お金をもらって指導しているプロやクラブチームもボランティアで指導している少年団であっても「指導者は指導者」です。
そこに言い訳は必要ないと思っています。
ボランティアであっても指導者が「どうやったら子ども達が巧くなるのだろう!?」、「どうやったら子ども達の自主性が育つのだろう!?」と考えるべきです。
私もぶっちゃけボランティア指導者です。
でも子ども達のために指導者としての努力を怠ったことはありません。
全ては「プレイヤーズファースト」のためです。
冒頭の言葉は、ライセンス保持者であれば、ほとんどの方が知っているであろう言葉です。
この言葉を軽視しているから怒鳴ったり、自分自身をアップデートしない指導者が出てくるんだろうと思います。
自分が努力していないのに子ども達には、「もっとやれ!」、「努力しろ!」と言うのですから困ったもんです。
説得力があるかどうかは明白ですよね。
サッカーというツールで子ども達の自主自立を育てる
ライセンス講習でも言われます。
指導者は、子ども達の自主自立を育てないといけないのです。
サッカーは指導者の指示通りに動けば良いスポーツではありません。
場面場面で自分で状況判断して最善のプレーを選択しないといけません。
子ども達の自主自立を育てて、子ども達自身で状況判断できるようになるからサッカーが巧くなるんです。
サッカーだけ巧くしようと思っても無理ゲーです。
だから必然的にサッカー指導者は同時に「教育者」でないといけないのです。
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いろんなことを上から目線のように言いましたが、私自身サッカー指導者として完璧だと思ったことはありませんし、もっともっと努力する必要があると思っています。
もちろん他の指導者を指摘できるほどの優れた指導者とも思っていません。
ただ、努力していない指導者も日本には、まだまだいるという事実は理解して欲しいと思います。
指導者の努力次第で子ども達が、どう成長するのか!?サッカーをずっと好きでいてくれるのか!?が変わってくると思います。
「指導者は選手の未来に触れている。」
忘れてはいけない素晴らしい言葉です。